2019年5月22日

2月から地元を離れ、埼玉県に来た。

東京で働きたいと思い続けて地元で仕事をして約4年。2018年中に自分のまわりの環境変化が無ければ一生地元で働くと固い決意のもと動いたら、功を奏した。しかし、東京にならずまさかの埼玉県。少しがっかりしながら、来たものの蓋を開けてみると都内にアクセスが良く静かな街で、職場も家から20分という自分としては好条件な環境だと思う。地元を離れるときは意外とあっさりだ。あっさりというより、前職の引継ぎをギリギリまでやり後は引っ越しの作業。そんなタイトな時間の中でも食事や送別会をやってもらい、感無量。心底感謝の気持ちでいっぱいだ。落ち着いたら一人一人また挨拶に行きたいと思う。そんな感じで心が追い付かないままあっさりと来た東京、否、埼玉生活はというと想像していた以上に寂しい。この3か月間はほとんど毎日が寂しい。今までテレビを見なかった生活が、一転して帰宅したらテレビを付けている。僕は音楽が部屋で鳴っていれば十分だと思っていた。しかし、そんな生活もあまりの寂しさに耐え切れず5月に入った頃にはNetflixに登録してテレビ番組も見るようになっていた。音楽と人の話声って全然違うんだなあと実感。今まで心の中で小馬鹿にしてきた、寂しくてテレビを付けていると言っていた一人暮らしの友人すべてに謝りたい。一人暮らし、テレビないと無理でした。。。

平成も終わり令和を迎え、寂しさがピークに達していたが、この前の週末、横浜で大学の友人(人妻たち)とランチしていたらふと急に、何か、心の中でストンと落ちる音がした。あ、こんなに寂しい期間は終わったのかなと思った。そりゃあ寂しい気持ちはあるけども、今までのような激しい寂しさや誰かといたいと人に依存したくなるような強い寂しいさが終わった気がする。

生活にも慣れてきたのもあるだろうが、正直この1年間結婚について凄く縛られていた気がする。アラサーを迎え、自分には時間がないと強迫観念に追い込まれていた気がする。もしくは、一人暮らしを始めたのだから『誰か過ごさなければならない』みたいな義務的な何かだ。

一番大事なのは、自分のアイデンティティをどう維持していくかだと思う。自分を大切にしなきゃ軸が歪む。自分を無理くり誰かの型にはめようとすると心が疲れるのを感じた。そういうことをふと思ったら、だいぶ軽くなった。

関東生活、まだまだこれからだよね。